「秩父寄居」歌碑

1.テキスト

毛虫焼くまひるの火立つこれやこの
秩父寄居のましろきそらに

つくづくと「粋なもやうの博多帯」
荒川ぎしの片岩のいろ

             宮澤賢治の歌

2.出典

校友会会報 第三十二号
書簡 22(保阪嘉内宛)

3.建立/除幕日

1993年(平成5年)9月21日 建立/9月25日 除幕

4.所在地

埼玉県大里郡寄居町寄居653-1 熊谷保健所寄居支所前

5.碑について

 1916年9月3日、盛岡高等農林学校から地質学研修旅行のため秩父地方を訪れていた賢治たち一行は、寄居町方面をまわっていました。
 寄居町は、埼玉県のまん中から少し北西寄り、荒川が秩父の山中から関東平野に流れ出てくる扇状地に開けた町で、町の中心を荒川が大きく流れています。
 川沿いには、「立ヶ瀬断層」や「象ヶ鼻」露頭などの、地質学的に注目されるスポットがあり、賢治たちもこれらを見学したのだろうと推定されています。

 歌碑になっているのは、この時に賢治が詠んだと思われる二首の短歌です。
 一首目に出てくる「毛虫焼く」は、俳句では夏の季語ですが、賢治がこれを詠んだのは前述のように9月に入ってからでした。荒川上流のこのあたりは、実際に毛虫が多い地域らしく、秩父地方の渓流釣りに関するサイトの「危険な動物への対策」という項にも、毛虫への注意が書いてあるくらいです。北国育ちの賢治にとっては、毛虫を駆除するために焼いているところに遭遇して、 珍しい風景で印象的だったのだろうと思います。
 二首目において「博多帯」に喩えてあるのは、長瀞にある「虎岩」という、縞模様になった岩のことを指していると推定されています。この虎岩も含めて、「埼玉の環境を考える会」というサイトの「宮沢賢治と秩父」というページに、 賢治が旅した秩父路についてのまとまった解説があります。

 石碑は、熊谷保健所寄居支所の前に、道をはさんで向かい合うように建てられていました。まさに「荒川ぎし」というべき、ぎりぎりの崖の上にあります。
 碑身になっている緑っぽい石は、歌にも出てくる「片岩」の一種の「黄緑片岩」だそうです。


歌碑の後ろの荒川