「山峡の町」歌碑
1.テキスト
山峡の
町の土蔵のうすうすと
夕もやに暮れ
われらもだせり
宮沢賢治
2.出典
校友会会報 第三十二号
3.建立/除幕日
1997年(平成9年)3月建立/8月28日 除幕
4.所在地
埼玉県秩父郡小鹿野町大字小鹿野89 小鹿野町役場前
5.碑について
1916年9月に賢治は、盛岡高等農林学校の地質学研修旅行で、秩父地方を訪れました。歌碑になっているのは、その折に詠んだ歌です。
小鹿野町は、埼玉県の西北部にある小さな町ですが、江戸時代から、武蔵、信濃、甲斐、上野の諸国の交通の要衝にあったため、定期的に市が立っていたということです。
現在も、街道ぞいにいくつも古い土蔵が残っていて、町並みには落ち着いた歴史が感じられます。
私が上の写真を写すために小鹿野町を訪ねたのは、2001年の9月でした。着いたのは午後5時ごろでしたが、まわりを山に囲まれた町の夕暮れは早く、そこはかとない寂しさがただよっていました。
碑の歌で、「もだす」というのは「黙る」ということですが、夕闇が迫ると町はほんとうにひっそりして、思わず声をひそめたくなるような雰囲気がありました。
賢治らの一行は、9月4日の夜は小鹿野町の「本陣 寿旅館」という旅館に宿泊したようです。私がそのことを知ったのは、偶然私たちも同じ宿に泊まって、朝この宿から出発する間際のことでした。
この旅館は、江戸時代には代官の出役所だったということで、賢治の時代にも、すでに古い宿だったのだろうと思います。私が宿泊した2001年の時点でも、賢治との縁にちなんでか、宿の帳場には「ビヂテリアン大祭」と「山火」の自筆原稿の複写が置かれていました。
その後、この旅館は2011年にリニューアルされて、「小鹿野町観光交流館 本陣」として、再オープンしました。入口には、「宮沢賢治宿泊のお宿」との標柱も立てられています。
「小鹿野町観光交流館 本陣」