「岩手山」歌碑
1.テキスト
岩手山
いただきにして
ましろなる
そらに火花の涌き散れるかも
宮沢賢治
2.出典
歌稿〔B〕 550
3.建立/除幕日
1994年(平成6年)4月29日 建立/除幕
4.所在地
岩手県滝沢市岩手山 岩手山馬返し登山口
5.碑について
この歌は、賢治が盛岡高等農林学校3年の夏、学友の 保阪 嘉内 といっしょに泊りがけで、岩手山に登った時に詠んだものです。
賢治にとって生涯で最大の親友だった嘉内との交友において、1917年7月というこの時期は、ひとつのクライマックスにあたっていたようです。
7月1日に、賢治や嘉内が中心になって、文芸同人誌『アザリア』が創刊され、同月7日には同人の仲間でその「合評会」を開き、夜遅くまで大いに文学論をたたかわせました。この後、まだ興奮さめやらぬ若者たちは、深夜に盛岡から雫石まで20km近くを歩きとおすという「馬鹿旅行(嘉内の表現)」をやってのけます。この時の模様は、賢治の短編「秋田街道」に記録されていますが、そこには、 まさにかけがえのない友情をかちえた賢治の喜びが、高揚する行間にあふれていま す。
さらに賢治と嘉内は、この徒歩旅行の一週間後の7月14日~15日に、おたがいの友情を重ねて確かめるかのように、二人で岩手山に登ります。
この時の思い出は、賢治にとっても嘉内にとっても忘れられないものとなったようで、二人ともたくさんの短歌にして残しています。その後、二人が離れて暮らすようになっても、 賢治は嘉内あての手紙のなかで、この岩手山の夜のことを、何度も何度も愛惜するように回想して書き送っていました。
しかし、いかなる運命のいたずらと言うべきか、紆余曲折を経た二人は、深い友情を心の底に秘めつつも、おたがいに苦い思いをかみしめて、結局は別々の道を歩むことになります。ある時期から二人は、手紙のやりとりさえしなくなるのです。
そして二人は、それぞれ相手の様子は知らずに死にました。
輝かしい青春の日に二人が立った岩手山の頂上で、夜明けの白い空に湧き散っていたという「火花」とは、いったいどんな現象だったのでしょうか。 この時、どんな景色を二人は見たのでしょうか。
馬返し登山口から見る岩手山 (2001.8.12)