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「祭日〔二〕」詩碑

1.テキスト

              宮 沢 賢 治

アナロナビクナビ 睡(ねむ)たく桐咲きて
峡に瘧(おこり)の やまいつたわる

ナビクナビアリナリ 赤き幡(はた)もちて
草の峠を 越ゆる母たち

ナリトナリアナロ 御堂のうすあかり
毘沙門像に 味噌たてまつる

アナロナビクナビ 踏まるる天(あま)の邪鬼(じゃき)
四方につつどり 鳴きどよむなり

2.出典

祭日〔二〕(下書稿(二)手入れ)」(「文語詩未定稿」)

3.建立/除幕日

1959年(昭和34年)9月21日 建立

4.所在地

花巻市東和町北成島 毘沙門堂境内

5.碑について

 花巻市街から東へ10kmあまり、成島にある毘沙門天は、賢治のいろいろな作品に登場します。

 この作品では、「アナロナビクナビ…」という不思議な呪文の繰り返しが、なんといっても印象的です。
 これは、もとは法華経陀羅尼品第二十六にある、毘沙門天の呪文です。それぞれの意味は、下記のとおりだということです。(『宮沢賢治 文語詩の森』より)

阿梨(アリ)=仏の真実の教えは無限である
那梨(ナリ)=真実の教えに敵はない
菟那梨(トナリ)=信仰に励む上で心に少しも弛みがあってはいけない
阿那盧(アナロ)=仏の慈悲も教えも無限である
那履(ナビ)=仏の教えがいちばん優れている
拘那履(クナビ)=仏の教えの他に何の富があろうか

 これを賢治は、輪唱のようにつなぎ合わせて詩に埋め込みました。

 詩に描かれている情景は、成島の毘沙門天の五月の祭日に、母親たちが子どもの病気平癒を祈願して、参詣に来ているところなのでしょう。この毘沙門さまは、その足に味噌を塗ると願いをかなえてくれるという不思議な霊験があるということで、みんなが味噌を奉っています。

 形式としては、第一行と最終行が自然の情景を描写し、その間にはさまれた部分が、人間世界と信仰の事柄になっているという構造です。
 一行目の「睡たく桐咲きて」というのんびりとした様子と、二行目の「瘧のやまひつたはる」という不吉な事態とが何気なく並べられ、はっとさせられるような対照をなしています。
 同時に、両端にある自然ののどかさと、人々の切実な純朴さは、あたかも一体のものでもあるかのようです。

 賢治の多くの文語詩が、一点に凝集するような求心的な動きを感じさせるのに対して、この作品は、一種の円環的な運動を連想させます。
 そこには、尻取り歌のように循環する呪文が果たしている役割が大きいでしょうし、自然描写から始まって自然描写に終わるという、詩全体の回帰的な構造も与っているでしょう。
 また内容的には、毎年同じように巡ってくる祭日と、永劫に繰り返されるかのような土俗的で素朴な信仰のすがたも、そのような雰囲気を醸し出しています。

 この作品は、『春と修羅 第二集』の「一三九 夏」が文語詩に改作されたものですが、もとの形を見ると、情景がもうすこし具体的に描かれています。
 ただ、呪文が繰り返されるこの文語詩の形態には、ちょっと他にはない特異な魅力があります。


成島毘沙門堂