「雨ニモマケズ」詩碑

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1.テキスト

 雨ニマケズ
 風ニマケズ
 雪ニモ夏ノ暑サニ
 モ マケヌ
   丈夫ナカラダヲ
         モチ
 慾ハナク
 決シテ瞋ラズ
 イツモシヅカニワラッテ
            ヰル
 一日ニ玄米四合ト
  味噌ト少シノ
      野菜ヲタベ
 アラユルコトヲ
 ジブンヲカンジョウニ
         入レズニ
      ヨク ワカリ
        ミキキシ
           ワカリ
ソシテ
  ワスレズ
 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
  小サ萓ブキノ
      小屋ニヰテ
 東ニ病気ノコドモ
       アレバ
 行ッテ看病シテ
        ヤリ
 西ニツカレタ
        母アレバ
    ハナ
 行ッテソノ
     稲ノ束ヲ
         負ヒ
 南ニ
   死ニサウナ人
          アレバ
 シヅカニ
 行ッテ
   コハガラナクテモ
      イヽ
行ッテ     トイヒ
 北ニケンクワヤ
       ソショウガ
 ツマラナイカラ  アレバ
     ヤメロトイヒ
 ヒドリノトキハ
     ナミダヲナガシ
 サムサノナツハ
    オロオロアルキ
 ミンナニ
    デノボート
         ヨバレ
 マタ
 ホメラレモセズ
 クニモサレズ
    サ ウイフ
         モノニ
    ワタシハ
      ナリタイ

  南無無邊行菩薩
  南無上行菩薩
 南無多寶如來
南無妙法蓮華経
 南無釋迦牟尼佛
  南無浄行菩薩
  南無安立行菩薩

2.出典

〔雨ニモマケズ〕」(「補遺詩篇 II」)

3.建立/除幕日

1996年(平成8年)9月10日 建立/9月29日 除幕

4.所在地

神奈川県鎌倉市長谷3-9-7 光則寺本堂前

5.碑について

 鎌倉市の光則寺は、日蓮の高弟で「六老僧」の一人でもある、日朗を開山としています。
 日蓮が佐渡に流罪となった1271年に、弟子の日朗も捕らえられて、その身柄は北条時頼の重臣であった宿屋光則やどやみつのりに預けられ、屋敷裏の土牢に幽閉されました。しかし宿屋光則は、日朗の世話をするうちに次第にその教えに感化され、日蓮が助命された時には法華経に帰依して、自分の屋敷を日朗に寄進して「光則寺」を建立したのです。

 現在の光則寺は、鎌倉市天然記念物となっている樹齢200年の「花海棠ハナカイドウ」や、200種類に及ぶアジサイなど、様々な花が庭園を飾り、鎌倉を代表する「花の寺」の一つとなっています。
 山門は朱塗りで、屋根の緑青色や木々の緑との対比が美しいです。

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 宿屋光則は、日蓮が1260年に北条時頼に「立正安国論」を提出する際にもたまたま取り次ぎをしたという縁がありました。これにちなんで本堂の前には、立正安国論の趣旨について説明する日蓮遺文「安国論御勘由来」の一部を刻んだ石碑が、二つ並んで建てられています。

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 大きな蓮の葉も見事で、美しい花が咲くことでしょう。ここから左側の脇の方に、宮澤賢治の詩碑があります。

 碑文は、上の<テキスト>欄に示したように、賢治が「雨ニモマケズ手帳」に書きつけたそのままを、訂正跡まで含めて、忠実に再現したものです。
 通常は「〔雨ニモマケズ〕」の一部としては採用されていない、「南無妙法蓮華経」を中心とした略式十界曼荼羅までもが、刻まれています。碑を建立した横山邦雄住職は「〔雨ニモマケズ〕」について、「仏教の望ましい人間像、菩薩の徳を讃えたもので、だれにもわかりやすいから、万人の目に触れさせたい」と考え、これを設置したということです。

 ちなみに、寺の境内の裏手に回って石段を数分登ると、その昔に日朗が幽閉されていたという土牢が、今も残されています。

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