「農民芸術概論綱要」碑
1.テキスト
世界がぜんたい
幸福に
ならないうちは
個人の幸福は
あり得ない
宮澤賢治
2.出典
「農民芸術概論綱要」
3.建立/除幕日
1983年(昭和58年)3月26日 建立
4.所在地
神奈川県平塚市浅間町 平塚市文化公園内
5.碑について
めずらしい球形の石碑です。
碑石の球形は、地球と宇宙を表し、その下の6本の台座は、世界の「六大洲」を表しているのだそうです。
碑に刻まれている「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」とは、宮澤賢治という人の考えのある側面を典型的に表す言葉として、よく引用もされるものです。
しかし考えてみると、もしも「世界全体の幸福」が実現されないうちは、「個人の幸福」があり得ないとすれば、遠い未来の先まで、地球上の誰一人として幸福になることはできないことになり、これはかなり悲観的な言葉です。
でも、ここで賢治が言っている「幸福」というのは、私たちがふだん小市民的な意味で使っている「幸福」とは、感覚的にちょっと違うものかもしれません。
賢治は同じ「農民芸術概論綱要」の中で、「新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある」ということも言っています。
このように、世界が全体として一つの生物となるならば、個人というのはたとえば一つの細胞のようなものですから、この生物が何かの病気にかかっていて全体として「健康」でない時に、一つ細胞だけが「健康」であったとしても、それは空しい一時の気休めに過ぎないかもしれません。その後、生物全体の病気が進行していけば、どの一つの細胞も、だんだん衰えていってしまい、いずれ生きていけなくなるでしょう。
だから、生物が全体として「健康」でないと、一つ一つの細胞の「健康」を云々してもそれは儚いものなのです。
宮澤賢治という人は、自己と他者の間の「境界」がとりわけ薄くて、日頃から理屈でなく他人の苦しみを自分の苦しみのように感じてしまう人だったので、他の人や生きものが苦しんでいる状態にあるかぎりは、自分だけが幸せだと感じることができなかったのではないかと思います。
この「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉は、賢治のそんな傾向が表された言葉なのだろうと思います。
さて、球形の碑石の台座の前には、「建碑の趣旨」を刻んだ下のような説明碑が設置されています。
建碑の趣旨
平塚ライオンズクラブ
は ここにチャーターナ
イト二十周年を迎えた
記念事業として 市民
休養の郷 花巻市の花巻
ライオンズクラブと姉妹
クラブの提携がなされた
兩市住民が末永く親交
の深まることを念願し
花巻市が生んだ宮澤賢治
先生の農民芸術概論序論
の一文を刻み 次代に伝
えるため 花巻市長藤田
万之助氏の協力を得て
記念碑を建立する
一九八三年三月二十六日
平塚ライオンズクラブ 建立
平塚市長 石川京一 選文
市議会議長 水島英耀 書
神奈川県平塚市は、1982年に市制50周年を記念して、上の碑文にあるように岩手県花巻市を「市民休養の郷」に指定し、翌1983年に平塚市ライオンズクラブは花巻市ライオンズクラブと姉妹クラブの提携を交わしました。
さらに1984年に、平塚市は花巻市と「友好都市」になっています。