「農民芸術概論綱要」碑
1.テキスト
われらは
世界の
まことの
幸福を
索ねよう
求道すでに
道である
宮沢賢治
2.出典
「農民芸術概論綱要」より
3.建立/除幕日
1963年(昭和38年)5月25日 建立/除幕
4.所在地
岩手県北上市相去町高前檀13 県立北上翔南高校 校庭
5.碑について
この碑の隣には、2003年まで「銀どろ」の大樹がそびえていました。これは、北上翔南高校の前身である黒沢尻高等女学校の校長に賢治の知人が就任したことを記念して、賢治が学校に苗木を寄贈したものだったということです。
「銀どろ」とは、ヤナギ科の白楊の一種で、葉の裏に銀粉のような白い綿毛が密生しているために、こう呼ばれます。
賢治は生前、銀どろの木が大好きだったとのことで、羅須地人協会の庭にもみずから植えていましたし、花巻温泉の花壇設計に際して、「ぎんどろと落葉松の混植最美観を呈す」と勧めています。
現在、「風の又三郎群像」がある花巻市文化会館前の公園も、「ぎんどろ公園」と名づけられて、この木がたくさん植えられています。
『新宮澤賢治語彙辞典』には、「風に吹かれて緑と白の葉がいっせいにきらめく北欧風の雰囲気が、モダ―ンな賢治の好みに合ったものと思われる」と書かれています。
いっぽう、賢治の父の 政次郎 氏は、後年に回想して、「賢治は早死することを悟っていたためか、こうした早く大きくなる木を植えるのが好きだったもなさ」と言っていたということです(森荘已池『宮沢賢治の肖像』より)。
その後、この碑の横の木はみごとな大樹になり、1975年には北上市文化財にも指定されていたとのことですが、残念ながら2003年9月末に、台風のためにこの木は倒れてしまったということです。
下の写真は、2000年夏に私が訪れた時に写したものですが、下から見上げると、やはり葉の裏が銀色に輝いていたのが印象的でした。
その後、黒沢尻南高校は2004年に北上農業高校の跡地に移転するとともに、名前も「北上翔南高校」と変更されましたが、この碑は一緒に移設されたということです。