私は五聯隊の古参の軍曹

1.歌曲について

 賢治自身が書いた「飢餓陣営」のテキストにはないのですが、実際にこの「コミックオペレット」が上演された際には、その幕開きの前に、「一人の兵卒が登場して、『私は五聯隊の古参の軍曹』という歌を独唱した」ということを当時の生徒が証言しているそうです(『十字屋版全集』別巻巻末の森惣一による解説)。
 そしてその歌の旋律は、当時世界的に流行し、日本でも「チッペラリー」として親しまれていた歌曲のものだったらしいということが、『【新】校本全集』第六巻校異篇(p.211)に書かれています。その箇所に、その根拠は挙げられていないのですが、何か当時の生徒の証言などがあるのでしょう。ちなみに、稗貫農学校四回卒で賢治の教え子だった小原忠氏は、賢治から英語で「チッペラリー」を教えてもらったことを回想しています(佐藤泰平『宮沢賢治の音楽』)。

 この「チッペラリー」とは、原題は‘It's a long, long way to Tipperary’という曲で、第一次世界大戦の時にイギリス軍兵士の間で広く歌われ、大戦後はヨーロッパやアメリカでも大流行して、さらには日本にまでその流行が及んだというものです。いわば「世界的大ヒット曲」のはしりとも言えます。ちなみに、この頃同時に「スペイン風邪」と呼ばれる新型インフルエンザも世界的に大流行して、当時の世界の人口の4分の1にあたる5億人が感染し、1700万人から5000万人が死亡するという、人類最初の「パンデミック」も起こりました。「世界大戦」によって、世界中を人と物資が行き交う「グローバリゼーション」が勃興したことの、正負の二面を象徴すると言えます。

 西ドイツ映画「Uボート」(1981)は、第二次大戦中のドイツ軍を描いたものですが、第一次大戦ではイギリスの敵方だったドイツ兵士たちが、映画の中でこの「チッペラリー」を大合唱するシーンが出てくるそうですし、かの「スヌーピー」も、時々この曲のメロディーを鼻歌で歌うのだそうです。

 ティッペラリーというのはは人口5000人ほどのアイルランド中部の小さな町で、そこからロンドンに出てきた若者が、故郷に残してきた彼女を懐かしむ、というのが歌詞の内容です。日本ではこの歌は「浅草オペラ」に取り入れられ、賢治は上京した時に浅草に通ってこれを覚えて帰ってきて、自らの「オペレット」の中に替え歌として利用したのでしょう。
 さらに賢治の作品では、童話「フランドン農学校の豚」にも、これはちらっと登場します。助手によって豚が無理やり散歩をさせられる場面です。

……ヨークシャイアは仕方なくのそのそ畜舎を出たけれど胸は悲しさでいっぱいで、歩けば裂けるやうだった。助手はのんきにうしろから、チッペラリーの口笛を吹いてゆっくりやって来る。鞭もぶらぶらふってゐる。
 全体何がチッペラリーだ。こんなにわたしは悲しいのにと豚は度々口をまげる。……

 散歩が終わってからもまた助手は、「チッペラリーの口笛を吹きながら」帰って行きます。のんきでお調子のよい旋律の代表として、お話の小道具に使われている感じです。

2.演奏

 さて下の演奏は、Web上で拾ってきた MIDI を手元でちょっと加工して、伴奏としてみたものです。前奏に笛の音色を入れてみたところ、ぐっとアイリッシュっぽくなったと思っているのですが、いかがでしょうか。アイルランド出身の偉大なフルーティスト、ジェームズ・ゴールウェイもよく余興で吹いていた、ブリキの笛(‘Tin Whistle’)のつもりです。

3.歌詞

一、私は五聯隊の古参の軍曹
  六月の九日に演習から帰り
  班中を整理して眠りました
  そのおしまひのあたりで夢を見ました。

二、大将の勲章を部下が食ふなんて
  割合に適格なことでもありませんが
  まる二日食事を取らなかったので
  恐らくはこの変てこな夢をみたのです。

4.楽譜

(楽譜は『新校本宮澤賢治全集』第6巻本文篇p.338より)