熊本県戸馳島詩碑へ

 イラク攻撃の猶予期間が切れる朝、私たちは伊丹空港に向かいました。いつもよりもかなり厳しいチェックを通って飛行機に乗り、 1時間後に熊本空港に降りました。

 いったんホテルに荷物を置いた後、駅から市電に乗って、並木坂の「こむらさき本店」というラーメン店に行きました。 いろいろな評価があるようですが、最も老舗でオーソドックスな熊本ラーメンということで、まず選んでみたのです。豚骨スープ、 かんすいの少ない太麺、トッピングされた焦がしにんにくチップときくらげ、という熊本ラーメンの定番を味わえましたが、 スープにはちょっと化学調味料を入れすぎているようでした。
 食べ終えて市電で熊本駅に戻ると、JR三角線に乗りました。

 三角という町は、文字どおり島原湾に三角形に突き出している宇土半島の先端にあるのですが、この終点で列車を降りると、 すぐ南向かいに「戸馳島」という小さな島があります。この島の小学校に、「雨ニモマケズ」の碑があると聞いて、 今日は熊本県までやってきたのです。
 三角駅前に停まっているタクシーに乗り、運転手さんに「戸馳小学校まで」と頼みました。何の用事で行くのかと尋ねられましたが、 説明がややこしいのであいまいな返答でごまかします。カーラジオで、ついに米英軍がバグダッドへの攻撃を始めたことを知りました。
 タクシーは、目の前の戸馳島に沿っていったん東に戻り、300mほどの海峡に架けられた戸馳大橋を渡って、島に入りました。 ゆるやかな丘陵からなる島のまん中あたりに、戸馳小学校はありました。

 子供たちは掃除の時間だったようですが、先生を見つけて用件を伝えると、先生はお仕事の手を止めて碑まで案内して下さいました。 これは、1975年の卒業生が担任の先生と一緒に作った記念碑だということで、「雨ニモマケズ」の一節を刻んだ土台の上に、 卒業生それぞれが作った自分の顔の彫像を並べ、さらにその上に鳩を抱いた子供の像が載せられているというものです。 とても可愛らしくほのぼのとした碑で、吉田精美氏はこれを、「賢治の岩手から、いちばん遠い地点に建っている野の花のような碑」 と記しておられます。
 この碑を幾枚かの写真におさめると、こんどはのんびり歩いて三角駅に戻ることにしました。みかん畑のあいだをくねくねと道はめぐり、 しばらく行くと美しい海に出ました。

 その海を戸馳大橋で渡って三角線に乗り、熊本駅に帰ってきました。夕暮れの駅前では、開戦を報じる号外が配られていました。
 黒々と大きな活字が躍る紙を手にホテルの部屋に入り、しばらくはTVを見ていました。