賢治の結核の診断時期

 6月分の「賢治日めくり」を作り終えました。これで、1年の半分まで来たことになります。

 「【新】校本全集」をはじめ、多くの賢治の年譜では、1918年6月30日と7月1日に、賢治が「肋膜」 ではないかと心配になって医師の診察を受けた時の結果をもって、「初めて結核の徴候が現れた」としていますが、当時の書簡を注意して見ると、 この時点ではそのような診断はなされていないように思います。
 詳しくは、7月1日付の「賢治日めくり」をご覧ください。