賢治 日めくり ~8月20日~

- 1921年8月20日(土)(賢治24歳)、短篇「竜と詩人」草稿末尾に「一〇、八、二〇」と記されており、この日に書かれたと推定される。
- 1924年8月20日(水)(賢治27歳)、花巻高等女学校教諭で親友の藤原嘉藤治が後年発表した詩「或る日の『宮沢賢治』」に、(一九二四、八、二〇)と日付が記入されており、この日に賢治は藤原宅を訪問したと推定される。
- 1926年8月20日(金)(賢治29歳)、「七三一 〔黄いろな花もさき〕」(「春と修羅 第三集」)を、スケッチした。
- 1927年8月20日(土)(賢治30歳)、「一〇二一 和風は河谷いっぱいに吹く」(「春と修羅 第三集」)、「一〇八七 〔ぢしばりの蔓〕」(「詩ノート」)、「一〇八八 祈り」(「詩ノート」)、「一〇八八 〔もうはたらくな〕」(「春と修羅 第三集」)、「一〇八九 路を問ふ」(「詩ノート」)、「一〇八九 〔二時がこんなに暗いのは〕」(「春と修羅 第三集」)、「一〇九〇 〔何をやっても間に合はない〕」(「春と修羅 第三集」)を、スケッチした。
この日は、嵐だったようである。
- 1930年8月20日(水)(賢治33歳)、湯本村糠塚の元教え子高橋(沢里)武治に手紙を書いた(書簡272)。
「お変りはありませんか。お蔭で私も今はすっかり常態に復し、今年中だけ豊沢町で店を手伝ったり今まで書いたものを整理したりしてゐるつもりです。あなたの方のこといろいろ伺ひたいことばかりです。花巻へ出ておいでになったら遠くですがどうかお立ち寄りください。六月柳原君にも会ひました。
お兄さんにもお会ひの節はよろしく。まづは」
またこの日、花巻の料亭「万梅」で催された花巻農学校4回生(1925年卒業)の同級会に出席した。下はその際の記念写真で、賢治は前列右から3人目。

- 1931年8月20日(木)(賢治34歳)、この日、元教え子沢里武治の訪問を受けたと推定される。