下で別れたさっきの人は

   やっぱり茶いろの馬をひき

   すぱすぱたばこのけむりをはいて

   どてを向ふへあるいてゐる

   けさはたばこものまなかったが

   もう山の上の平に来て

   空気もぬるくひかりだし

   一人で気楽にもなったので

   一ぷくやって行くのだらう

   さう云へば馬の方も

   わざとふざけてびっこをひいてゐるやうだ

   向ふは姥石高日まで

   いまさわやかな夏草で

   うすい茶いろの防火線からへりどられ

   あちこちくっきり直角なのは

   この高原も

   云はゞ正規な十数枚のトラムプカード

   そこをつぎつぎ行きすぎる

   蒼々ふかい雲かげと

   水いろをした風の脚

   いま一枚のカードの面が

   はじから順に明るくなって

   そこから赤い小蟻のやうに

   きらきら光って生れるものは

   放されてゐる野馬の群だ

   そのぜんたいまたがかげらふではげしくゆれる

   あゝいふふうにひかるのは

   胸をぶるっとひきつらせたり

   尾で払ったりするのだらう

   その一方で小さな薮をせなかにしょって

   白いずぼんで誰かゞ一人

   やっぱりひどくぐらぐらゆれて

   馬にむかって立つらしいのは

   いまは午前の十一時なので

   食塩でも馬にやるのだらう

   そのため馬があすこいっぱい集まってゐる

   さっきのやつはほかの馬から

   もう今日のごちさうは済んだところへ

   お前が来たなと云はれさう

   さうでなければ馬の仲間は

   そういふこともひかりや風のぬるさといっしょに

   ただぼんやりと感ずるだけかもわからない

   それは幾重の丘の向ふ

   北上河谷いっぱいに澱んだ

   鼠いろした朝の霧と

   その上緑はるかな北で

   藍いろをした奇怪なものは

   雪融の岩手火山であらう

   あすこのちやうどふもとにあたる沼森と沼森平が

   そっくりこゝの地形だった

   そしてあゝいつでもかういふ青ぞらの下の

   地塊の上にひとりで立てば

   わたくしはふしぎにもやるせない

   国土に対する哀恋を感ずる

      ……蜂がぶんぶん飛びめぐり

        わたくしの影は岩の向ふの

        赤いすいばの氈に落ちる……

   こゝから見はるかす緑の木立

   谷でははやくも秋の虫が

   ガラスのやうに軋ってゐる

   向ふは次の雲影で

   野馬の群はくらくなり

   さっきの人はやっぱりぽかぽか馬をひいて

   この人のない平の上の大往還を

   ごくゆっくりとあるいて行く

   ところが谷で鳴いてゐるのは

   虫ではなくてみんな鳥だ

 

 


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