三三六

     春谷暁臥

                  一九二五、五、一一、

   

   酪塩のにほひが帽子いっぱいで

   温く小さな暗室をつくり

   谷のかしらの雪をかぶった円錐のなごり

   水のやうに枯草(くさ)をわたる風の流れと

   まっしろにゆれる朝の烈しい日光から

   薄い睡酸を保護してゐる

    ……その雪山の裾かけて、

      撒き散らされた銅粉と

      あかるく亘る禁慾の天……

   「幻」が向ふに中学生の制服で

   たぶんはしゃっぽも頭へかぶせ

   灌木藪をすかして射す

   キネオラマ式光にまぶれ

   夜通し歩いたつかれのため

   情操青く透明らしい

     ……コバルトガラスのかけらやこな!

       あちこちどしゃどしゃ抛げ散らされた

       安山岩の塊と

       あをあを燃える山の岩塩(しほ)……

   ゆふべ凍った斜子の月を

   くらかけ山からこゝらへかけて

   夜通しぶうぶう鳴らした鳥が

   いまいっぴきも翔けてゐず、

   しづまりかへってゐるところは

   やっぱり餌をとるのでなくて

   やっぱり石竹いろの動因だった

    ……「幻」もおほかたそれらしかった

      育牛部から山へ出て

      放牧柵を越えたとき

      水銀いろのひかりのなかで

      杖や窪地や水晶や

      いろいろ春の象徴を

      ぼつりぼつりと拾ってゐた……

         (蕩児高橋亨一が

          しばし無雲の天に往き

          数の綵女とうち笑みて

          ふたたび地上にかへりしに

          この世のをみなみな怪(け)しく

          そのかみ帯びしプラチナと

          ひるの夢とを組みなせし

          鎖もわれにはなにかせんとぞ嘆きける)

       羯阿迦(ぎやー ぎあ) 居る居る鳥が立派に居るぞ

           まさにゆふべとちがった鳥だ

       ――― 鳥とは青い紐である

       ――― 二十八ポイント五!

       ――― 二十七!

       ――― 二十七!

   はじめの方が声もたしかにみぢかいのに

   二十八ポイント五とはどういふわけだ

   帽子をなげて眼をひらけ

   もう二里半だ

   つめたい風がながれる

 

 


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