一五五

     夏夜狂躁

                  一九二四、七、五、

   

   熟した藍や糀のにほひ

   多情な夏の夜風をわたり

   稲葉の青いさやぎを縫って

   ほたるはほのかにみだれて飛ぶ

     ……地平線地平線

       灰いろはがねの天末で

       銀河のはじがぼんやりけむる……

   さはやかな稲沼(ライスマーシュ)の風跡に

   蛙の族は声をかぎりにうたひ

   くるみばやしのつらなりは

   こもごもそらに負像を描く

   もうにぎやかにはなばなしい

   ガンダラ風のよるなのだ

     ……みだれるみだれるアカシヤの髪

       赤眼の蠍

       そらの泉と浄瓶や皿……

   蛍は消えたりともったり 湿って温い南の風の吹きかへり

   くわがたむしがうなって行って 蛙はげろげろ啼いてゐる

   (風が蛙に云はてゐるか 蛙が風を呼んでゐるのか)

   北の十字のまわりから 摩渇大魚の座のあたり

   天はまるでいちめん

   青じろい疱瘡にでもかかったやう

   天の川はまたぼんやりと爆発する

       (風の云ってゐることは

        蛙の云ってゐることとおんなじだ)

   天の川のその燃焼の補填として

   南のそらは大きな黒いいたでを負った

   西蔵魔神の風呂敷が

   そこらの星に吸ひついてゐる

   けれども悪魔は天とおんなじことで

   力はあっても畢竟流転のものだから

   やっぱりあんなに

   どんどん風に溶される

   星はもうそのやさしい面影(アントリッツ)を恢復し

   そらはふたゝび古代意慾の曼陀羅になる

     ……蛍は青くすきとほり

       稲はざわざわ葉擦れする……

   うしろではまた天の川の小さな爆発

   白鳥座から ライラ/琴[併記] へかけて立派な蛇の紋ができ

   溶けた魔神ははるかな北に生起して 六頭首ある馬に乗り髪を乱して駈けまはる

     ……夜風の底で蛙は軋り

       セヴンヘヂンは遠くでわらふ……

   やなぎにみだれる蛍の群の

   二疋が互にもつれて騰り

   天の川の南のはじは

   こんどは白い湯気を噴く

         (古びて青い懸吊体!

          ブラウン動の燐光点!)

   ああ あたたかなガンダラ風の風が

   南から塊になったり紐になったりして

   どしゃどしゃ木立や草を吹き

   またわたくしの耳もとで

   銅鑼やトロムボン(銅角)になって砕け

   蛍は水や空気のなかで

   蘇末那の華をともしたり

   奇怪な印をほどいたり

   また南では

   まっ赤な星もながれるので

   もうわたくしは手も青じろく発光し

   腕時計の針も狂って

   (帽子を投げろ帽子も燃える)

   この夏の夜の密教風の誘惑に

   あやうく堕ちて行かうとする

       (菩薩威霊を仮したまへ)

   そうら

   こんどは射手から光照弾が投下され

   風にあらびるやなぎのなかを

   淫蕩に青くまた冴え冴えと

   蛍の群はとびめぐる

     ……カシオピーアの青じろいしかめつら……

 

 


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