かしはばやしの夜
(かしはのなかには鳥の巣がない
あんまりがさがさ鳴るためだ)
ここは艸があんまり粗(あら)く
ゆめのそらから空気をすひ
おもひきり倒れるにてきしない
そこに水いろによこたはり
一列生徒らがやすんでゐる
(かげはよると亜鉛とから合成される)
それをうしろに
わたくしはこの草にからだを投げる
月はいましだいに銀のアトムをうしなひ
かしははせなかを黒くかがめる
柳沢(やなぎざわ)の杉は寒天よりもなつかしく
坊主の沼森(ぬまもり)のむかふには
騎兵聯隊の灯も澱んでゐる
《ああおらはあど死んでもい》
《おらも死んでもい》
(それはしょんぼりたってゐる宮沢か
さうでなければ小田島国友
向ふの柏木立のうしろの闇が
きらきらっといま顫えたのは
Egmont Overture にちがひない
たれがそんなことを云ったかは
わたくしはむしろかんがへないでいい)
《伝さん しやっつ何枚、三枚着たの》
せいの高くひとのいい佐藤伝四郎は
月光の反照のにぶいたそがれのなかに
しゃつのぼたんをはめながら
きっと口をまげてわらってゐる
降ってくるものはよるの微塵や風のかけら
よこに鉛の針になってながれるものは月光のにぶ
《ほお おら……》
言ひかけてなぜ堀田はやめるのか
おしまひの声もさびしく反響してゐるし
さういふことはいへばいい
(言はないなら手帳へ書くのだ)
とし子とし子
野原へ来れば
また風の中に立てば
きっとおまへをおもひだす
おまへはその巨きな木星のうへに居るのか
鋼青壮麗のそらのむかふ
(古典ブラーマのひとたちには
あすこは修弥(しゆみ)のみなみの面(めん)だ
これらふたいろの観測器械による
これらふたつの感じやうは
じつはどっちもそのとほりだ
じぶんでじぶんを測定する
現象のなかの命題だから
ああけれどもそのどこかも知れない空間で
光の紐やオーケストラがほんたうにあるのか
…………此処(こご)あ日あ永(な)あがくて
一日(いちにぢ)のうちの何時(いづ)だがもわがらないで……
ただひときれのおまへからの通信が
いつか汽車のなかでわたくしにとどいただけだ)
とし子 わたくしは高く呼んでみやうか
《手凍(かげ)ぇだ》
《手凍ぇだ?
俊夫ゆぐ凍ぇるな
こなぃだもボダンおれさ掛げらせだぢゃぃ》
俊夫といふのはどっちだらう 川村だらうか
あの青ざめた喜劇の天才「植物医師」の一役者
わたくしははね起きなければならない
《おゝ 俊夫てどっちの俊夫》
《川村》
やっぱりさうだ
月光は柏のむれをうきたたせ
かしははいちめんさらさらと鳴る