丸善階上喫煙室小景

                  一九二八、六、一八、

   

   ほとんど初期の春信みたいな色どりで

   またわざと古びた青磁のいろの窓かけと

   ごく落ちついた陰影を飾ったこの室に

   わたくしはひとつの疑問をもつ

   壁をめぐってソーファと椅子がめぐらされ

   そいつがみんな共いろで

   たいへん品よくできてはゐるが

   どういふわけかどの壁も

   ちゃうどそれらの椅子やソーファのすぐ上で

   椅子では一つソーファは四つ

   団子のやうににじんでゐる

    ……高い椅子には高いところで

      低いソーファは低いところで

      壁がふしぎににじんでゐる……

        そらにはうかぶ鯖の雲

        築地の上にはひかってかゝる雲の峯……

   たちまちひとり

   青じろい眼とこけた頬との持主が

   奇蹟のやうにソーファにすはる

   それから頭が機械のやうに

   うしろの壁へよりかゝる

     なるほどなるほどかう云ふわけだ

     二十世紀の日本では

     学校といふ特殊な機関がたくさんあって

     その高級な種類のなかの青年たちは

     あんまりじぶんの勉強が

     永くかかってどうやら

     若さもなくなりさうで

     とてもこらえてゐられないので

     大てい椿か鰯の油を頭につける

     そして充分女や酒や登山のことを考へたうヘ

     ドイツ或は英語の本も読まねばならぬ

     それがあすこの壁に残って次の世紀へ送られる

        向ふはちゃうど建築中

        ごっしんふうと湯気をふきだす蒸気槌

        のぼってざぁっとコンクリートをそゝぐ函

   そこで隅にはどこかの沼か

   陰気な町の植木店から

   伐りとって来た東洋趣味の蘆もそよぐといふわけだ

     風が吹き

     電車がきしり

     煙突のさきはまはるまはる

   またはいってくる

   仕立の服の見本をつけた

   まだうら若いひとりの紳士

   その人はいまごくつゝましく煙草をだして

     電車がきしり

     自働車が鳴り

     自働車が鳴り

   ごくつゝましくマッチをすれば

     コンクリートの函はのぼって

     青ぞら青ぞら ひかる鯖ぐも

   ほう 何たる驚異

   マッチがみんな爆発をして

   ひとはあわてゝ白金製の指環をはめて手をこする

     ……その白金が

       大ばくはつの原因ですよ……

         ビルデングの黄の練瓦

         波のやうにひかり

         ひるの銀杏も

         ぼろぼろになった電線もゆれ

         ユッカのいろの窿穹(ドーム)の上で

         避雷針のさきも鋭くひかる

 

 


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