一装景家と助手との対話

   

   
    蒼い地平線が或る度の弾性をもち

    従て地面が踏みに従って

    ゴム或はアスファルトの程度の弾性をもつこと乃至

    ヒンヅーガンダラ乃至西域の人々もこれを望み

   近代の多くの造園家たちもこれを考へる

    然るに或る平均的に不変な剛性をもつ地殻を

    更に任意に変ずることは今日の世界造営の技術の範囲では あらぬ

    それを決定する因子は

   大きく二つになってゐる

    一つは仏の神力により

    一つは衆生の業によると

    さうわれらの先住文化の帯有者たちも考へ

    またわたくしもさう思ふ

    乃至そこに芙しからぬ林藪卉木なく

    受用に適せぬ産者のないことは

   ……タキスの天にぎざぎざにそゝり立った青い鋸を……

    維摩居士は人に高貴の心あるが故であるといふ

   (すべてこれらの唯心論では風景がことごとく

   諸仏と衆生の徳の配列であると見る)

    それは感情移入によって

    仮に生じた情緒と

    外界との最奇怪な混合であると

    皮相に説明されるがごとき

    さういふ種類のものではない

    はんの木の群落の下に

    すぎなをおのづとはびこらせ

    やはらかなやさしいいろの budding fern を企画せよ

   それは清例な使徒告別の図のがくぶちにもなる

   Peasant Girls 電線にとまる小鳥のやうに

   みなわれわれのまはりの座席にちらばる

 

   この平野は巨きな海のごとくであるが故に

   あちこち台地のはじには白い巨きな燈台もたち

   それはおのおの二千アールの稲の

   夜の健実な成長を促すための設備である

 

    諸君この国土の

    装景家たちは

    この野の福祉のためには

    まさに命を堵けねぱならぬ

 

   何たる秀でしよき麦であるか

   この春寒さ Largo で融け

   且つ雷あリて硝酸そゝぎかゝったのだ

   クランド電柱を去る小鳥のやうに

   Peasant Girls 座席を立って降りゆく

 

 

     一造園家と助手との対話

 

   あれが巨大なアブクマの

   片麻岩系の山塊であるが

   そのいちばん南のはじから

   巨きな光る雲塊ものぼる

   それはたくさんの瓔珞や幡を容れた

   毘沙門天の宝蔵であると

   trans Himalaya の高原住民たちが考へる

   あるときそれが六つの頭首ある戦の馬と

   千の手に或はほこや独こをもち

   髪をみだしたかつましゅら天であると

   Sven Hedin も空想して

   〔?〕の名誉ある著述のなかに

   そのたわむれのスケッチをいろどりをしてかゝげてゐる

   冬はきらびやかに氷華が飛ぶのに

   けふはきらびやかに石炭からが飛ぶと云へば

   誰でもひとつのアイロニーのやうにきくではあらうが

   みたまへこれらの二つの汽車の間

   まぶしさうな老人の顔の前で

   何ときらびやかに飛びちがふ

 

 


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