一〇八三

     〔南からまた西南から〕

                  一九二七、七、一四、

   

   南からまた西南から

   和風は河谷いっぱいに吹く

   七日に亘る強い雨から

   徒長に過ぎた稲を波立て

   葉ごとの暗い露を落して

   和風は河谷いっぱいに吹く

   この七月のなかばのうちに

   十二の赤い朝焼けと

   湿度九〇の六日を数へ

   異常な気温の高さと霧と

   多くの稲は秋近いまで伸び過ぎた

   その茎はみな弱く軟らかく

   小暑のなかに枝垂れ葉を出し

   明けぞらの赤い破片は雨に運ばれ

   あちこちに稲熱の斑点もつくり

   ずゐ虫は葉を黄いろに伸ばした

   

   今朝黄金のばら東もひらけ

   雲は騰って青ぞらもでき

   澱んだ霧もはるかに翔ける

   森で埋めた地平線から

   たくさんの古い火山のはいきょから

   風はいちめん稲田をゆすり

   汗にまみれたシャツも乾けば

   こどもの百姓の熱した額やまぶたを冷やす

    あゝさわやかな蒸散と

    透明な汁液(サップ)の転移

    燐酸(ホス)と硅酸(シリカ)の吸収に

    細胞膜の堅い結束

   乾かされ堅められた葉と茎は

   冷での強い風にならされ

   oryza sativaよ稲とも見えぬまで

   こゝをキルギス曠原と見せるまで

   和風は河谷いっぱいに吹く

   

 


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