一〇〇三

     実験室小景

                  一九二七、二、一八、

   

   (こんなところにゐるんだな)

       ビーカー、フラスコ、ブンゼン燈、

   (この漆喰に立ちづくめさ)

       暖炉はひとりでうなってゐるし

       黄いろな時計はびっこをひきひきうごいてゐる

   (ガラスのオボーがたくさんあるな)

   (あれは逆流冷却器)

   (ずゐぶん大きなカップだな)

   (どうだきみは、苛性加里でもいっぱいやるか)

   (ふふん)

       雪の反射とポプラの梢

       そらを行くのはオパリンな雲

       あるひはこまかな氷のかけら

   (分析ならばきみはなんでもできるのかい)

   (あゝ物質の方ならね)

   (はははは 今日は大へん謙遜だ

    まるでニュウトンそっくりだ)

   (きみニュウトンは物理だよ)

   (どっちにしてももう一あしだ

    教授になって博士になれば

    男爵だってなってなれないこともない)

   (きみきみ助手が見てゐるよ)

       湯気をふくふくテルモスタット

   (春が来るとも見えないな)

   (いや、来るときは一どに来る

    春の速さはまたべつだ)

   (春の速さはおかしいぜ)

   (文学亜流にわかるまい、

    ぜんたい春といふものは

    気象因子の系列だぜ

    はじめははんの紐を出し

    しまひに八重の桜をおとす

    それが地点を通過すれば

    速さがそこにできるだらう)

   (さういふことを云ってたら

    論文なんかぐにゃぐにゃだらう)

   (論文なんかぱりぱりさ)

        △

   (何時になればいっしょに出れる?)

   (四時ならいゝよ)

   (もう一時間)

   (あゝ温室で遊んでないか

    済んだらぼくがのぞくから

    助手がいろいろ教へてくれる)

   (ではさうしやう

    あの玄関のわきのだな)

   (あゝさう

    ひとりではいっていゝんだ

    あけっぱなしはごめんだぜ)

   

 


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