葱嶺(パミール)先生の散歩

   

   気圧が高くなったので

   昨日固態の水銀ほど

   乱れた雲を弾いてゐた

   地平の青い膨らみも

   徐々に平位を復するらしい

   しかも国土の質たるや

   それが瑠璃から成るにもせよ

   弾性なきを尚ばず

   地面行歩に従って

   小さい歪みをつくることあたかもよろしき凝膠(ゲル)なるごとき

   これ上代の天竺とやがては西域諸国に於ける

   永い夢でもあったのである

 

   向ふ三つの残丘(モナドノック)のこっち側

   何か播かれた四角な畑に

   かながら製の幢幡とでもいふべきものが

   十二つ正しく立てられてゐて

   古金の色の夕陽に映え

   いろいろの風にさまざまになびくのは

   たしかに鳥を追ふための装置であって

   別に異論もないのであるが

   それがことさらあの高山を祀るがやうに

   長短順を整へて二列正しく置かれたことは

   ある種拝天の余習であるか

   山岳教の遺風であるか

   とにかく誰しもこの情景が

   単なる実用が産出した

   偶然とのみ看過し得まい

 

   古金の色の夕陽と云へば

   きみのまなこは非難する

   どうして卑しい黄金をもって

   この尊厳の夕陽に比すると

   まことに今日黄金を呼び

   金剛石をいふことは

   廉潔の士の好まぬところ

   さあれ利勘の心情なくば

   雲また鳥のたぐひであって

   金また美しい鉱物であり

   それを卑しむ要もない

   且つやわたしが名指したものは

   同じい純粋の黄金とは云へ

   今日世上一般の

   暗い黄いろなものでなく

   遠く時軸を溯り

   幾多所感の海を経て

   竜樹菩薩の大論に

   わづかに暗示されたるところ

   すなはちその徳はなはだ高く

   その相はるかに旺んであって

   むしろ流金(quick gold)ともなすべき

   わくわくたるそれを云ふのである

   

   さう亀茲国の夕陽のなかを

   やっぱりたぶんかういふ風に

   鳥がすうすう流れたことは

   出土の壁画や何かから

   ただちに指摘できるけれども

   沼地の青いけむりのなかを

   はぐろとんぼが飛んだかどうか

   そは杳として知るを得ぬ

 

 


   ←前の草稿形態へ

次の草稿形態へ→