種山ヶ原 三、

 

   いちめんのかきつばたの花を

   こんなにあちこち折ったのは

   やっぱり馬のしわざなのだ

   ところがこゝは

   馬の水のみ場処なので

   流れによるほど

   草もふまれてまばらだし

   楊の皮もむしられて

   蹄のあとがずっと下流までついてゐる

   みんなといっしょに上の野原で遊んでゐて

   日中になると

   にはかにかげらふや渇きを覚え

   一ぴきさきにかけだせば

   続いてみんなかけおりる

   結局そこらの傾斜では

   右横隊のかたちになって

   もうわれがちに流れにはいり

   ならんでのどをごくごくやったり

   あきてはじっと蹄をつけて

   しっぽをばしやぼしや振ったりする

   それがいまにも嵐のやうに

   あの青ぞらをおりて来て

   そこらの花をぐらぐらゆすりさうなのは

   じつはこっちも暑く渇いてゐるためだ

   たくさんの藍燈を吊る

   巨きな椈の緑廊を

   紅やもえぎをながしたり

   暗い石油にかはったり

   水はつめたくすべってくる

   すくへば水に魚のひれの模様もできて

   底の砂利でも影がおなじにゆれてゐる

   じつに何と緑色の幾層楼を

   月長石の天にかゝげる

   巨きないたやの木であらう

   またその下の白く立派な折帯皺

   林の奥はひっそりとして

   もう一ぴきも鳥がなかない

   けさ上の原を横切るときは

   ここは一本の緑の紐に見えてゐて

   もう秋の虫がないてゐるなとわたくしが云ったら

   あの馬をひいた男は

   なあにみんな鳥だと云ってわらってゐた

   いまごろはあの人ももう馬を放して

   またもとのけさやって来た尾根みちを

   また戻ってゐるころだ

   いまそらはもうひじゃうな風で

   雲もひかってかけちがひ

   ひぐらしもなけば冠毛もとぶ

   (おれはいままで

   房のつかない上着など

   まだ着たことがないからな)と

   さう云ったのは誰だったらう

   あゝいま一瞬わたくしは

   その巨きな栗の木の散点した

   うつくしい苹果青いろの傾斜を

   設計された果樹園だと

   どこかでぼんやり考へたのは

   今朝早かったのですっかりつかれてしまったのだ

 

 


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