東京
一九一六年三月一〇日(?)
(大正五年)
盛岡高農修学旅行にて始めて出京
◎ 博物館
うるはしく
猫睛石はひかれども
赤き練瓦の窓はあれども
(ひとのうれひはせんすべもなし)
◎ 鉱物陳列館
しろきそら
この東京のひとむれに
まじりてひとり京橋に行く
◎
浅草の木馬に乗りて哂ひつゝ
夜汽車をまてど こゝろまぎれず
一九一六年八月
◎ 博物館
うたまろの
乗合ぶねの前に来て
なみだながれぬ 富士くらければ
◎ 神田
この坂は
霧のなかより巨なる
舌のごとくにあらはれにけり
◎ 植物園
八月も終れるゆゑに小石川
青き木の実のふれるさびしさ
◎ 上野
東京よ
これは九月の青りんご
かなしと見つゝ汽車にのぼれり
一九一六年一二月
◎ 上野
東京の
光の渣にわかれんと
ふりかへり見て
またいらだてり
一九二一年一月より八月に至るうち
大正十年
◎
くもにつらなるでこぼこがらす
はるかかなたを赤き狐のせわしきゆきき
べっかうめがねのメフィスト
◎
(ばかばかしからずや
かの白光はミラノの村)
そを示す白き指はふるひ
そらより落ち来る銀のモナドのひしめき
◎
赭ら顔
黒装束のそのわかもの
急ぎて席に帰り来しかな
◎
コロイドの光の上に張りわたる
夜の穹窿をあかず見入るも
◎
エナメルのそらにまくろきうでをさゝげ
花を垂るゝは桜かいなや
◎
青木青木
はるか千住の白きそらを
になひて雨にうちどよむかも
◎
かゞやきの雨にしばらく散る桜
いづちのくにのけしきとや見ん
◎
こゝはまた一むれの墓を被ひつゝ
梢暗みどよむ ときはぎのもり
◎
咲きそめしそめゐよしのの梢をたかみ
ひかりまばゆく 翔ける雲かな
◎
雲ひくく桜は青き夢の列
汝は酔ひしれて泥洲にをどり
◎
汝が弟子は酔はずさびしく芦原に
ましろきそらをながめたつかも
◎
棕梠の葉大きく痙攣し
陽光横目にすぐるころ
息子の大工は
古スコットランドの
貴族風して戻り来れり
◎
日光きたりて
いそぎくびすを返すと思ひしに
そはいみじきあやまり
朝の梢の小き街燈
げにもすぎたる歓楽は
すでに来しやとうたがはる
露は草に結び
雲は羊毛とちゞれたり
◎
日過ぎ来し雲の原は
さびしく掃き浄められたり
◎
かくまでに
心をいたましむるは
薄明穹の黒き血痕
新らしき
見習士官の肩章をつけて
その恋敵笑って過ぐる
◎
聖なる窓
そらのひかりはうす青み
汚点ある幕はひるがへる
……Oh,my reverence!
Sacred St.Window!
◎ 公衆食堂(須田町)
あわたゞしき薄明の流れを
泳ぎつゝいそぎ飯を食むわれら
食器の音と青きむさぼりとはいともかなしく
その一枚の皿
硬き床にふれて散るとき
人々は声をあげて警しめ合へり
◎
われはダルゲを名乗れるものと
つめたく最后のわかれをかはし
白き砂をはるかにはるかにたどれるなり
その三階より灰いろなせる地下室に来て
われはしばらく湯と水とを呑めり
(白き砂をはるかにはるかたどれるなり)
そのとき瓦斯のマントルはやぶれ居て
焔は葱の華をなせるに
見つや網膜の半ばら奪ひとられて
その床は黒く錯乱せりき
(白き砂をはるかにはるかにたどれるなり)
◎
赤き幽霊
黄いろの幽霊
あやしきにごりとそらの波
あるひはかすけき風のかげ。
◎
霧は雨となり
建物はぬれ
ひのきははかなき
日光の飢を感ぜり
◎
ある童子はかすかなる朝の汗を拭ひ
あるは早くも芝笛を吹き
陽光苔に流れつゝ
白き菌はつめたくかほりぬ
◎
そらのふかみと木のしづま
はちすゞめ
群は見がたし
◎
こはドロミット洞窟の
つめたく淡き床にあらずや
さるにてもいま
幾箇の環を嵌められしぞも
巨人の白く光る隻脚
◎
林間に鹿はあざける
(光はイリヂウムより強し)
げに蒼黝く深きそらかな
却って明き園の塀
◎
小さき練瓦場に人は居ず
まるめろのにほひたゞよひ
火あかあかと燃えたり
(大なる唐箕
幅広の声にて
ひとり歌へるは
こゝにはいともふさはしからず)
◎
つめたくさびしきよあけごろ
蚊はとほくにてかすかにふるひ
凝灰岩のねむけとゆかしさと
銀のモナドぞそらにひしめき
◎
霧のやすけさは天上のちゝ
精巧のあをみどろ水一面をわたり
はちすさやかに黄金の微塵を吐けば
立ならぶ岸の家々
早くもあがるエーテルの火
◎孔雀
白孔雀 いま胸をゆすりて光らしめ
はげしく尾をばひろげたり
おもむろにからだめぐらし
みぢかきはねをゆすぶれり
しばしばはねを痙攣し
あるひは砂をみつめたり
いみじき跡は砂にあり
ほのぼの雲の夢を載す
孔雀 高貢なるにはあらず
ひとみうるみてしばたゝく
しばし孔雀はしづまれり
霜の織物 雲のあや
今や孔雀は裳を引きて
すなをついばみ歩みたる
めすの孔雀よとまり木に
とまれば鷹にことならず
なべて孔雀のラッパはやぶれ
牛酪(バタ)のかむむりいたゞけり