浮世絵展覧会印象

                  一九二八、六、一五、

   

   膠とわづかの明礬が

     ……おゝ その超絶顕微鏡的に

       微細精巧の億兆の網……

   まっ白な楮の繊維を連結して

   湿気によってごく敏感に増減し

   気温によっていみじくいみじく呼吸する

   長方形のごくたよりない一つの薄い層をつくる

     いまそこに

     あやしく刻みいだされる

     雪肉乃至象牙のいろの半肉彫像

     愛染される

     一乃至九の単色調

     それは光波のたびごとに

     もろくも崩れて色あせる

   見たまへこれら古い時代の数十の頬は

   あるひは解き得ぬわらひを湛え

   あるひは解き得てあまりに熱い情熱を

   その細やかな眼にも移して

   褐色タイルの方室のなか

   茶いろなラッグの壁上に

   巨きな四次の軌跡をのぞく

   窓でもあるかとかかってゐる

   高雅優美な信教と

   風韻性の遺伝をもった

   王国日本の洗練された紳士女が

   つゝましくいとつゝましくその一一の

   十二平方デシにも充たぬ

   小さな紙片をへめぐって

   或はその愛慾のあまりにもやさしい模型から

   胸のなかに燃え出でやうとする焔を

   はるかに遠い時空のかなたに浄化して

   足音軽く眉も気高く行きつくし

   あるひはこれらの遠い時空の隔りを

   たゞちに紙片の中に移って

   その古い慾情の香を呼吸して

   こゝろもそらに足もうつろに行き過ぎる

   

   そこには苹果青のゆたかな草地や

   曇りのうすいそらをうつしてたゝえる水や

   はるかに光る小さな赤い鳥居から

   幾列飾る硅孔雀石の杉の木や

   

        永久的な神仙国の創建者

        形によれる最偉大な童話の作家

   

   どんよりとよどんだ大気のなかでは

   風も大へんものうくて

   あまりにもなやましいその人は

   丘阜に立ってその陶製の盃の

   一つを二つを三つを投げれば

   わづかに波立つその膠質の黄いろの波

     その一一の波こそは

     こゝでは巨きな事蹟である

   それに答へてあらはれるのは

   はじめてまばゆい白の雲

   それは小松を点々のせた

   黄いろな丘をめぐってこっちへうごいてくる

   

        一つのちがった atmosphere と

        無邪気な地物の設計者

   人はやっぱり秋には

   禾穂を叩いたり

   鳴子を引いたりするけれども

   氷点は摂氏十度であって

   雪はあたかも風の積った綿であり

   柳の波に積むときも

   まったくちがった重力法によらねばならぬ

   夏には雨が

   黒いそらから降るけれども

   笹ぶねをうごかすものは

   風よりはむしろ好奇の意思であり

   蓮はすべて lotus  といふ種類で

   開くときには鼓のやうに

   暮の空気をふるはせる

   

   しかもこれらの童期はやがて

   熱くまばゆい青春になり

   ゆたかな愛憐の瞳もおどり

   またそのしづかな筋骨も軋る

   

   

   赤い花火とはるかにひかる水のいろ

   たとへばまぐろのさしみのやうに

   妖冶な赤い唇や

   その眼のまはりに

   あゝ風の影とも見え

   また紙がにじみ出したとも見える

   このはじらひのうすい空色

   青々としてそり落された淫蕩な眉

   鋭い二日の月もかゝれば

   つかれてうるむ瞳にうつる

   町並の屋根の灰いろをした正反射

   黒いそらから風が通れば

   やなぎもゆれて

   風のあとから過ぎる情炎

   

   

   やがては ultra youthfulness の

   その数々の風景と影

   赤くくまどる奇怪な頬や

   逞ましく人を恐れぬ咆哮や

   魔神はひとにのりうつり

   青くくまどるひたひもゆがみ

   うつろの瞳もあやしく伏せて

   修弥の上から舌を出すひと

   青い死相を眼に湛え

   蘆の花咲く迷の国の渚に立って

   髪もみだれて刃も寒く

   怪しく所作する死の舞

   白衣に黒の髪みだれ

   死をくまどれる青の面

   雪の反射のなかにして

   鉄の鏡をさゝげる人や

   あゝ浮世絵の命は刹那

   あらゆる刹那のなやみも夢も

   にかはと楮のごく敏感なシートの上に

   化石のやうに固定され

   しかもそれらは空気に息づき

   光に色のすがたをも変へ

   湿気にその身を増減して

   幾片幾片

   不敵な微笑をつゞけてゐる

   

   

   高雅の      丶丶丶

            丶丶丶をもった

   日本

              丶丶丶

   つゝましく いとつゝましく

   

   

   恐らくこれらの    丶丶丶たちは

   その   をばことさら    より   し

   その     は          丶丶丶

   

   やがて来るべき新らしい時代のために

   わらっておのおの十字架を負ふ

   そのやさしく勇気ある日本の紳士女の群は

   すべての苦痛をもまた快楽と感じ得る

   

   褐色タイルのこのビルデングのしづかな空気

   天の窓張る乳いろガラスの薄やみのなかから

   青い桜の下暗のなかに

   いとつゝましく漂ひ出でる

 

 


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