賢治 日めくり ~12月2日~
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国柱会信行部に入会致しました。即ち最早私の身命は
日蓮聖人の御物です。従って今や私は
田中智学先生の御命令の中に丈あるのです。 謹んで此事を御知らせ致し 恭しくあなたの御帰正を祈り奉ります。あまり突然で一寸びっくりなさったでせう。私は 田中先生の御演説はあなたの何分の一も聞いてゐません。唯二十五分丈昨年聞きました。お訪ねした事も手紙を差し上げた事もありません。今度も本部事務所へ願ひ出て直ぐ許された迄であなたにはあまりあっけなく見えるかも知れません。然し
日蓮聖人は妙法蓮華経の法体であらせられ
田中先生は少くとも四十年来日蓮聖人と心の上でお離れになった事がないのです。これは決して決して間違ひありません。即ち
田中先生に 妙法が実にはっきり働いてゐるのを私は感じ私は信じ私は仰ぎ私は嘆じ 今や日蓬聖人に従ひ奉る様に田中先生に絶対に服従致します。御命令さへあれば私はシベリアの凍原にも支那の内地にも参ります。乃至東京で国柱会館の下足番をも致します。それで一生をも終ります。
今私はこれら特種の事を何等命ぜられて居りません。先づ自活します。これらの事を私の父母が許し私の弟妹が賛しそれからあなたが悦ぶならばどんなに私は幸福でせう。既に私の父母は之を許し私の弟妹は之を悦び、みなやがて 末法の唯一の大導師我等の主師親
日蓮大聖人に帰依することになりました。
至心に合掌してわが友保阪嘉内の
帰正を祈り奉る。
南無妙法蓮華経」
あまりに唐突な印象のある国柱会入信宣言であるが、菅原千恵子はこれを、賢治がまさに保阪嘉内の除隊を目がけて起こした行動だったと分析する。「嘉内が帰省して日がたてば、次なる行動が当然予想される。その前に賢治は国柱会入会の事実を嘉内にぶつけてぜひとも同じ道を、法華経の信徒として歩いてほしかったのだ。」(菅原千恵子『宮沢賢治の青春』)
これの後賢治は、さらにたたみかけるように嘉内に手紙を書いて、入信を迫る。