三原 第三部

                  一九二八、六、一五、

   

   黒い火山岩礁に

   いくたびいくたび磯波があがり

   赤い排気筒の船もゆれ

   三原も見えず

   島の奥も見えず

   黒い火山岩礁に

   いくたびいくたび磯波が下がり

     ……風はさゝやき

       風はさゝやき……

   波は灰いろから

   タンブルブルーにかはり

   枯れかかった磯松の列や

   島の奥は蛋白彩の

   けむりはあがり

   いちめん apple green の草はら

     ……それをわたくしは

       あの林のなかにも企図して来た……

   狂ったかもめも波をめぐり

   昨日座ったあの浜べでは

   牛が幾匹しづかに

   海霧のなかに草をはみ

   奥地は霧の

   奥地は霧の

   もうこの船は・・・・の燈台を見ます

   暗い雲にたった    の崎の燈台を見ます

   

   

   

   

   いまわたくしは眼をさまして窓の外を見ましたら

   船はもうずうっとおだやかな夕がたの海の上をすべってゐて

   すぐ眼の前には緑褐色の平たい岬が

     ……よくあちこちの博覧会の模型に出る

   一つの灰いろの燈台と

   信号の支柱とをのせて横はって居りました

   それは往くときの三崎だったとわたくしはおもひ

   あの城ヶ島がどれであるかを見やうとして

   しさいに瞳をこらしましたが

   それはなれないわたくしには

   崎と区別がつけられないだけ

   うしろになって居りまして

   たゞどんよりと白い日が

   うしろのそらにかかって居り

   却って淡い富士山が

   案外小さく白い横雲の上に立ちます

   わたくしはいま急いではね起きて

   この甲板に出て来ますと

     ……福島県

   

   

   なぜわたくしは離れて来るその島を

   じっと見つめて来なかったでせう

   もういま南にあなたの島はすっかり見えず

   わづかに伊豆の山山が

   その方向を指し示すだけです

   たうたうわたくしは

   いそがしくあなた方を離れてしまったのです

   

   

   

   

   富士にはうすい雪の条があって

   その下では光る白い雲が

   平らにいちめんうごいて居り

   上にはたくさんの小さな積雲が

   灰いろのそらに立って居ります

   これはもう純粋な葛飾派の版画だ

   わたくしも描かうとひとりでわたくしは云ひました

   

   

   

   

   三崎も遠く

   かいろ青のそらの条片と雲のこっちにうかび

   日がいまごろぼんやり雲のなかから出て

   うすい飴いろの光を投げて居ります

   それはわたくしの影を

   排気筒の白いペンキにも投げます

   

   

   

   

   もううしろには模型のやうな小さな木々や

   崖のかたちをぼんやり見せた

   安房の山山も見えてゐますし

   わたくしの影はいま

   パイプをはなれて

   うしろの船室への入口の壁に

   てすりといっしょにうつってゐます

   それから富士の下方の雲は

   どんどん北へながれてゐて

   みんなまっかな瑪瑙のふうか

   またごく怪奇なけだもののかたまりに変ってゐます

     ……甲板の上では

       福島県の紳士たちが

       熱海へ行くのがあらしでだめだとつぶやいて

       いろいろ体操などをやります……

   おゝあなた方の上に

   何と浄らかな青ぞらに

   まばゆく光る横ぐもが

   あたかも三十三天の

   パノラマの図のやうにかゝってゐることでせう

   

   

   

   

   日はいま二層の黒雲の間にはいって

   杏いろしたレンズになり

   富士はいつしか大へん高くけわしくなって

   そのまっ下に立って居ります

   

   

         一隻の二とんばかりの発動機船が

         波をけたてゝ三崎の方へかけて行きます

   

   そしてもうこの舷のうしろの方で

   往くときも見えた

   あの暗色の鉛筆の尖のかたちをした

   燈台が二きれの黒い岩礁の

   その小さな方の上に立って

   橙いろのうすい灯を

   燃したり消したりはじめてゐます

   

   

         黒い海鳥は

         幾羽 鈍い夕ぞらをうつした海面をすべり

   船はもうまさしく左方に

   その海礁の燈台を望み

   またその脚に時々パッと立つ潮をも見ます

   三崎の鼻はもう遠く

   その燈台も

   辛くくるみいろした

   雲にうかんで見えるだけ

   そしてあなたの方角は

   もうあのかゞやく三十三天の図式も消えて

   墨いろのさびしい雲の縞ばかり

   

   それからほとんど突然に右手の陸で

   ほとんど石炭のけむりのやうな雲が

   いくひら いくひらあらはれて

   もう富士山も

   いま落ちたばかりのその日のあとの

   光る雲の環もみんなかくしてしまひます

   

   

   思ひがけなく

   雲につゝまれた富士の右で

   一つの灰いろの雲の峯が

   その葡萄状の周縁を

   かゞやく金の環で飾られ

   さん然として立って居ります

         ……風と

           風と

   

   海があんまりかなしいひすゐのいろなのに

   そらにやさしい紫いろで

   苹果の果肉のやうな雲もうかびます

   

   

   船にはいま十字のもやうのはいった灯もともり

   うしろには

   もう濃い緑いろの観音崎の上に

   しらしら灯をもすあのまっ白な燈台も見え

   あなたの上のそらはいちめん

   そらはいちめん

   かゞやくかゞやく

          猩々緋です