陸中の五月
一九二四、五、一六、
これは所謂芬芳五月の
(約六字不明)昔ながらの唯心日本の風景です
ならんだ木立と家とはみちに影を置き
それははるかな山の鏤やみ雪とともに
たびびとのこゝろのなかのそのけしきで
いたゞきに花をならべて植えつけた
ちいさな萱ぶきのうまやでは
黒馬もりもりかいばを噛み
頬のあかいはだしのこどもは
その入口に稲草の縄を三本つけて
引っぱったりうたったりして遊んでゐます
年経た並木の松は青ぞらに立ち
田を犁く馬は随処せわしく往返し
山脉が草火のけむりとともに
青くたよりなくながれるならば
雲はちゞれてぎらぎらひかり
風や水やまたかゞやかに熟した春が
共業所感そのものとして推移しますと
さっきの青ぞらの松の梢の間には
一本の高い火の見はしごがあって
その片っ方の端が折れたので
すきとほって青いこの国土の gobblin が
そこのところでやすんでゐます
やすんでこゝらをながめてゐます
ずうっと遠くの崩れる光のあたりでは
前寒武利亜紀のころの
形のない鳥の子孫らが
しづかにごろごろ鳴いてゐます
もうほんたうに錯雑で
容易に把握をゆるさない
五月の日本陸中国の(四字不明)風景です