オホーツク挽歌
海面は朝の炭酸のためにすつかり銹びた
緑青(ろくせう)のとこもあれば藍銅鉱(アズライト)のとこもある
むかふの波のちゞれたあたりはずゐぶんひどい瑠璃液(るりえき)だ
チモシイの穂がこんなにみぢかくなつて
かはるがはるかぜにふかれてゐる
(それは青いいろのピアノの鍵で
かはるがはる風に押されてゐる)
あるひはみぢかい変種だらう
しづくのなかに朝顔が咲いてゐる
モーニンググローリのそのグローリ
いまさつきの曠原風の荷馬車がくる
年老つた白い重挽馬は首を垂れ
またこの男のひとのよさは
わたくしがさつきあのがらんとした町かどで
浜のいちばん賑やかなとこはどこですかときいた時
そつちだらう、向ふには行つたことがないからと
さう云つたことでもよくわかる
いまわたくしを親切なよこ目でみて
(その小さなレンズには
たしか樺太の白い雲もうつつてゐる)
朝顔よりはむしろ牡丹(ピオネア)のやうにみえる
おほきなはまばらの花だ
まつ赤な朝のはまなすの花です
ああこれらのするどい花のにほひは
もうどうしても 妖精のしわざだ
無数の藍いろの蝶をもたらし
またちいさな黄金の槍の穂
軟玉の花瓶や青い簾
それにあんまり雲がひかるので
たのしく激しいめまぐるしさ
馬のひづめの痕が二つづつ
ぬれて寂まつた褐砂の上についてゐる
もちろん馬だけ行つたのではない
広い荷馬車のわだちは
こんなに淡いひとつづり
波の来たあとの白い細い線に
小さな蚊が三疋さまよひ
またほのぼのと吹きとばされ
貝殻のいぢらしくも白いかけら
萓草の青い花軸が半分砂に埋もれ
波はよせるし砂を巻くし
白い片岩類の小砂利に倒れ
波できれいにみがかれた
ひときれの貝殻を口に含み
わたくしはしばらくねむらうとおもふ
なぜならさつきあの熟した黒い実のついた
まつ青なこけももの上等の敷物(カーペット)と
おほきな赤いはまばらの花と
不思議な釣鐘草(ブリーベル)とのなかで
サガレンの朝の妖精にやつた
透明なわたくしのエネルギーを
いまこれらの濤のおとや
しめつたにほひのいい風や
雲のひかりから恢復しなければならないから
それにだいいちいまわたくしの心象は
つかれのためにすつかり青ざめて
眩ゆい緑金にさへなつてゐるのだ
日射しや幾重の暗いそらからは
あやしい鑵鼓の蕩音さへする
わびしい草穂やひかりのもや
緑青(ろくせう)は水平線までうららかに延び
雲の累帯構造のつぎ目から
一きれのぞく天の青
強くもわたくしの胸は刺されてゐる
それらの二つの青いいろは
どちらもとし子のもつてゐた特性だ
わたくしが樺太のひとのない海岸を
ひとり歩いたり疲れて睡つたりしてゐるとき
とし子はあの青いところのはてにゐて
なにをしてゐるのかわからない
とゞ松やえぞ松の荒さんだ幹や枝が
ごちやごちや漂ひ置かれたその向ふで
波はなんべんも巻いてゐる
その巻くために砂が湧き
潮水はさびしく濁つてゐる
(十一時十五分、その蒼じろく光る盤面(ダイアル))
鳥は雲のこつちを上下する
ここから今朝舟が滑つて行つたのだ
砂に刻まれたその船底の痕と
巨きな横の台木のくぼみ
それはひとつの曲つた十字架だ
幾本かの小さな木片で
HELL と書きそれを LOVE となほし
ひとつの十字架をたてることは
よくたれでもがやる技術なので
とし子がそれをならべたとき
わたくしはつめたくわらつた
(貝がひときれ砂にうづもれ
白いそのふちばかり出てゐる)
やうやく乾いたばかりのこまかな砂が
この十字架の刻みのなかをながれ
いまはもうどんどん流れてゐる
海がこんなに青いのに
わたくしがまだとし子のことを考へてゐると
なぜおまへはそんなにひとりばかりの妹を
悼んでゐるかと遠いひとびとの表情が言ひ
またわたくしのなかでいふ
(Casual observer! Superficial traveler!)
空があんまり光ればかへつてがらんと暗くみえ
いまするどい羽をした三羽の鳥が飛んでくる
あんなにかなしく啼きだした
なにかしらせをもつてきたのか
わたくしの片つ方のあたまは痛く
遠くなつた栄浜の屋根はひらめき
鳥はただ一羽硝子笛を吹いて
玉髄の雲に漂つていく
町やはとばのきららかさ
その背のなだらかな丘陵の鴇いろは
いちめんのやなぎらんの花だ
爽やかな苹果青(りんごせい)の草地と
黒緑とどまつの列
(ナモサダルマプフンダリカサスートラ)
五匹のちいさないそしぎが
海の巻いてくるときは
よちよちとはせて遁げ
(ナモサダルマプフンダリカサスートラ)
浪がたひらにひくときは
その砂の鏡のうへを
よちよちとはせてでる