親子の宗教意識

 7月の安倍元首相の銃撃事件以来、「宗教2世」の問題に社会的な注目が集まっています。特に親がカルト的な新興宗教にのめり込んでいる場合、その子供には心理的・経済的に様々なマイナスの影響がありえますが、既成宗教あるいは伝統宗教と呼ばれる教団の信者家庭も、この問題に無縁でありえないことは、私自身も仕事の中で常々実感しているところです。

 宮澤賢治が生まれた家庭も、ご存じのように父の政次郎や親族が浄土真宗の篤信家で、家の中には濃密な宗教的雰囲気が満ち満ちていました。このことが、後年の彼の深い宗教性を形づくる上で大きな役割を果たしたことは明らかですが、そこに何らかの「問題性」があったという文脈で語られることは、これまであまりなかったように思います。
 しかしその中で、栗原敦さんの1973年の論考「賢治初期の宗教性──宮沢賢治論(一)」(大島宏之編『宮沢賢治の宗教世界』所収)は、父親の信仰が賢治の上に落とした「影」の部分にも迫る、貴重な視点を与えてくれるものです。


 ここで「少女歌劇団詩群」と仮に呼んでいるのは、「春と修羅 第二集」所収の「」および「「春」変奏曲」の二篇と、それらの発展形と言える「春 水星少女歌劇団一行」(補遺詩篇Ⅰ)および「春 変奏曲、」(「春と修羅 第二集」)の、計四篇の口語詩です。

 まず下記は、その前半の二篇です。

一八四
   春
               一九二四、八、二二、
空気がぬるみ
沼には鷺百合の花が咲いた
むすめたちは
みなつややかな黒髪をすべらかし
あたらしい紺のペッティコートや
また春らしい水いろの上着
プラットフォームの陸橋の段のところでは
赤縞のずぼんをはいた老楽長が
そらこんな工合だといふふうに
楽譜を読んできかせてゐるし
山脉はけむりになってほのかにながれ
鳥は燕麦のたねのやうに
いくかたまりもいくかたまりも過ぎ
青い蛇はきれいなはねをひろげて
そらのひかりをとんで行く
ワルツ第CZ号の列車は
まだ向ふのぷりぷり顫ふ地平線に
その白いかたちを見せてゐない

 

一八四
   「春」変奏曲
               一九二四、八、二二、
いろいろな花の爵やカップ、
それが厳めしい蓋を開けて、
青や黄いろの花粉を噴くと、
そのあるものは
片っぱしから沼に落ちて
渦になったり条になったり
ぎらぎら緑の葉をつき出した水ぎぼうしの株を
あっちへこっちへ避けてしづかに滑ってゐる
ところがプラットフォームにならんだむすめ
そのうちひとりがいつまでたっても笑ひをやめず
みんなが肩やせなかを叩き
いろいろしてももうどうしても笑ひやめず


 「口語詩稿」に分類されている「〔四信五行に身をまもり〕」は、冒頭部分を欠いた断片で、下記が全集に掲載されている最終形テキストです。

〔冒頭原稿なし〕
四信五行に身をまもり
次なるぼく輩百姓技師は
すでに烈しくやられて居り
最后の女先生は
ショールをもって濾してゐる
さても向ふの電車のみちや
部落のひばのしげりのなかに
黄の灯がついて
南の黒い地平線から
巨きな雲がじつに旺んに奔騰するといふ景況である


3年ぶりの花巻の秋

 2020年、2021年と新型コロナ流行のため、例年9月22日~23日に行われる賢治学会の定期大会は中止(一部は書面またはオンライン開催)になっていたのですが、今年は3年ぶりに開かれることになり、積もる思いを込めて参加してきました。

 9月21日午後の賢治祭には残念ながら都合で出られず、また事故で新幹線も遅れたりしたので、21日の夜遅くに新花巻駅に着きました。

20220925a.jpg


薩摩琵琶の残響

 「春と修羅 第二集」所収の「〔北上川は熒気をながしィ〕」は、歌うような駆け合いが楽しい一篇です。今回も下の「色分け」ボタンを押すと、賢治と思しき発言は青色で、トシと思しき発言は赤色で、弟清六と思しき発言は緑色で、色分けして表示されるようにしてみました。

一五八
         一九二四、七、一五、

(北上川は熒気をながしィ
 山はまひるの思睡を翳す)

   南の松の林から
   なにかかすかな黄いろのけむり
(こっちのみちがいゝぢゃあないの)
(おかしな鳥があすこに居る!)
(どれだい)

〔中略〕

(……ではこんなのはどうだらう
 あたいの兄貴はやくざもの と)

(それなによ)
(まあ待って
 あたいの兄貴はやくざものと
 あしが弱くてあるきもできずと
 口をひらいて飛ぶのが手柄
 名前を夜鷹と申します)

(おもしろいわ それなによ)
(まあ待って
 それにおととも卑怯もの
 花をまはってミーミー鳴いて
 蜜を吸ふのが……えゝと、蜜を吸ふのが……)

(得意です?)
(いや)
(何より自慢?)
(いや、えゝと
 蜜を吸ふのが日永の仕事
 蜂の雀と申します)

〔後略〕


詩碑の写真を二つ

 先月に神奈川県に行って来た際に、従来から石碑」のページに掲載していた鎌倉市の光則寺の「雨ニモマケズ」詩碑平塚市文化公園の「農民芸術概論綱要」碑の写真も撮り直してきたので、差し替えました。

p_038.jpg p_37.jpg

 どちらも、前回の訪問から20年も経っているので、懐かしさもある一方で周囲の印象はかなり変わっていました。


「誓願」と「授記」の物語

 「銀河鉄道の夜」の「初期形一」から「初期形三」までの物語のラストは、次のように終わっていました。

「博士ありがたう、おっかさん。すぐ乳をもって行きますよ。」
ジョバンニは叫んでまた走りはじめました。何かいろいろのものが一ぺんにジョバンニの胸に集って何とも云へずかなしいやうな新らしいやうな気がするのでした。
 琴の星がずうっと西の方へ移ってそしてまた蕈のやうに足をのばしてゐました。

 この部分は、最終の「第四次稿」になるとなくなってしまうのですが、しかし私は三次稿までの、「何とも云へずかなしいやうな新らしいやうな気がする」という表現が、何とも心に沁みて仕方ありません。


乙未戦争の砲兵

 「口語詩稿」に収められている「会見」という詩は、賢治が教え子?の父親と会った際の状況を、少し自嘲も交えつつ、「無言の対話」で描いたものです。
 対話をわかりやすくするための趣向として、下の「色分け」というボタンを押していただくと、テキスト中で賢治が考えている部分を赤色で、父親が考えている部分を青色で、色分けして表示します。「戻す」ボタンを押すと、黒字に戻ります。

  会見

(この逞ましい頬骨は
 やっぱり昔の野武士の子孫
 大きな自作の百姓だ)

(息子がいつでも云ってゐる
 技師といふのはこの男か
 も少しからだも強靱くって
 何でもやるかと思ってゐたが
 これではとても百姓なんて
 ひどい仕事ができさうもない
 だまって町で月給とってゐればいゝんだが)

(お互じっと眼を見合せて立ってゐれば
 だんだん向ふが人の分子を喪くしてくる
 鹿か何かのトーテムのやうな感じもすれば
 山伏上りの天狗のやうなところもある)

(みんなで米だの味噌だのもって
 寒沢川につれて行き
 夜は河原へ火をたいてとまり
 みづをたくさん土産にしょはせ帰さうと
 とてもそいつもできさうない)

(向ふの眼がわらってゐる
 昔 砲兵にとられたころの
 渋いわらひの一きれだ)

(味噌汁を食へ味噌汁を食へ
 台湾では黄いろな川をわたったり
 気候が蒸れたりしたときは
 どんな手数をこらへても
 兵站部では味噌のお汁を食はせたもんだ)

(たうとう眼をそらしたな
 平の清盛のやうにりんと立って
 じっと南の地平の方をながめてゐる)

(ぜんたいいまの村なんて
 借りられるだけ借りつくし
 負担は年々増すばかり
 二割やそこらの増収などで
 誰もどうにもなるもんでない
 無理をしたって却ってみんなだめなもんだ)

(眼がさびしく愁へてゐる
 なにもかもわかりきって、
 そんなにさびしがられると
 こっちもたゞもう青ぐらいばかり
 じつにわれわれは
 遠征につかれ切った二人の兵士のやうに
 だまって雲とりんごの花をながめるのだ)