雨中 Gifford を訪ふ

 記事「賢治と Miss Gifford の会話」と「ひるのたびぢの遠ければ…」に書いたように、賢治は1922年12月に仙台に向かう東北本線の車中で、アメリカ人宣教師ミス・ギフォードと会い、ヤドリギや天国のことについて会話を交わしたようです。
 そして前者の記事でもご紹介しましたが、さらに賢治は翌1923年にもギフォードを訪ねたことが、「「文語詩篇」ノート」に記載されています(下画像は『新校本全集』第13巻(下)p.194より)。

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 去る2月10日~11日に、約3年ぶりに岩手県を訪ねてきました。

 とにかく久しぶりにイーハトーブの地を踏みしめたかったというのが、今回の一番の動機だった感じですが、具体的な目的地の一つとして、陸前高田市の高田高校に再建された、「農民芸術概論綱要」碑を見てみたいということがありました。

 この碑が、東日本大震災によって損壊し、様々なエピソードを経て、一昨年に再建されるまでの経緯については、「農民芸術概論綱要」碑のページに掲載しましたので、ご一読いただければ幸いです。

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 精神科医の岩波明氏による『文豪はみんな、うつ』は、2010年に幻冬舎新書で出ていましたが、先月に文庫本で再版されました。
 「病跡学(pathography)」とは、芸術家や学者など特異な才能を持った有名人の心の状態を、精神医学的に究明しようとする試みのことですが、その病跡学の手法を、近代日本の作家たちに適用してみた、という一冊です。

文豪はみんな、うつ (幻冬舎文庫) 文豪はみんな、うつ (幻冬舎文庫)
岩波 明 (著)
幻冬舎 (2021/12/9)
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成瀬金太郎の生家

20220117a.jpg 成瀬金太郎(1896~1994, 右写真は『成瀬金太郎小伝』より)は香川県神山村(当時)の出身で、盛岡高等農林学校農学科第二部における賢治の同級生でした。
 成瀬自身は、その入学時の心境を、次のように綴っています。

 大正四年四月、漸く春めき初めた香川鹿庭から東北岩手の盛岡へ勉強に単身旅立つ事は覚悟の上とは云え勇気を以て出発。愈々盛岡駅に下車、北上川を渡り白雪の岩手山を仰ぎつつ上田の高農自啓寮に落着いた時、初めて先輩の親切友情の有難さをしみじみ感じた。
 一室に六名内二名は三年と二年の先輩で何かと親切に指導されるので安心この上なし。週一回茶菓でコンパが催され、また新入生歓迎会が食堂で盛大に行われ、各室毎に独特の芸能が披露されてその間個人の特技が飛び出して楽しい一夜を過す。(『成瀬金太郎小伝』p.34)


ひるのたびぢの遠ければ…

 昨年のクリスマスには、「賢治と Miss Gifford の会話」という記事において、口語詩「〔あかるいひるま〕」と文語詩「〔けむりは時に丘丘の〕」に記された二人の会話について検討してみました。今回は、この「〔けむりは時に丘丘の〕」の内容について、もう少し考えてみたいと思います。

 下記が、その文語詩定稿です。

けむりは時に丘丘の、      栗の赤葉に立ちまどひ、
あるとき黄なるやどり木は、   ひかりて窓をよぎりけり。

(あはれ土耳古玉タキスのそらのいろ、 かしこいづれの天なるや)[E]
(かしこにあらずこゝならず、  われらはしかく習ふのみ。)[F]

(浮屠らも天を云ひ伝へ、    三十三を数ふなり、
 上の無色にいたりては、    光、思想を食めるのみ。)[G]

そらのひかりのきはみなく、   ひるのたびぢの遠ければ、
をとめは餓えてすべもなく、   胸なるたまをゆさぶりぬ。


 お正月休みの間に、栗原敦さんが近年の研究を集成された大著『宮沢賢治探究』上・下を読みました。
 昨年夏に上梓されてから、折に触れて興味を引かれた論考をぽつぽつと拾い読みしていたのですが、今回あらためて全体を通読する機会が持てて、賢治の世界に対する栗原さんの深い洞察にたっぷりと接することができ、新年早々とても幸福な時間を過ごすことができました。

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 あけましておめでとうございます。
 気がついてみたら昨年もコロナ禍のうちに終わってしまい、イーハトーブに足を運べない日々が続く私としては恋しさが募るばかりですが、今年こそ、何とか訪ねたいものだと思っております。

 本年も、どうかよろしくお願い申し上げます。

 今年の最初の記事は、盛岡高農時代の短歌と「シグナルとシグナレス」についてです。


20211220a.jpg 先週届いた『賢治研究』第145号の巻頭には、富山英俊さんの論考「口語詩「〔あかるいひるま〕」と文語詩「〔けむりは時に丘丘の〕」でのキリスト教徒女性との対話」が掲載されていて、私はとても興味深く拝読しつつ、多くのことを学ばせていただきました。

 その標題のように、この論文は賢治の口語詩「〔あかるいひるま〕」およびそれと同じ題材による文語詩「〔けむりは時に丘丘の〕」に描かれている、賢治とアメリカ人女性との間で交わされた会話の内容について、考察するものです。

 まずは、口語詩「〔あかるいひるま〕」の方から見てみましょう。


20211205a.jpg 若い頃ある時期までの賢治が、「〈みちづれ〉希求」とも言うべき独特の対人感情を抱いていて、それが周囲の特定の人々への強い思い入れにつながったのではないかということを、以前から私は考えてみています(記事「「〈みちづれ〉希求」の挫折と苦悩」や「「〈みちづれ〉希求」の昇華」など)。

 今日は、賢治のその感情の特徴について、もう少し検討してみたいと思います。


トシの墜落

 「〔堅い瓔珞はまっすぐに下に垂れます〕」という詩断片は、読むたびにその美しさと真摯さに心打たれます。

〔冒頭原稿なし〕
堅い瓔珞はまっすぐに下に垂れます。
実にひらめきかゞやいてその生物は堕ちて来ます。

まことにこれらの天人たちの
水素よりもっと透明な
悲しみの叫びをいつかどこかで
あなたは聞きはしませんでしたか。
まっすぐに天を刺す氷の鎗の
その叫びをあなたはきっと聞いたでせう。

けれども堕ちるひとのことや
又溺れながらその苦い鹹水を
一心に呑みほさうとするひとたちの
はなしを聞いても今のあなたには
たゞある愚かな人たちのあはれなはなし
或は少しめづらしいことにだけ聞くでせう。

けれどもたゞさう考へたのと
ほんたうにその水を噛むときとは
まるっきりまるっきりちがひます。
それは全く熱いくらゐまで冷たく
味のないくらゐまで苦く
青黒さがすきとほるまでかなしいのです。

そこに堕ちた人たちはみな叫びます
わたくしがこの湖に堕ちたのだらうか
堕ちたといふことがあるのかと。
全くさうです、誰がはじめから信じませう。
それでもたうたう信ずるのです。
そして一さうかなしくなるのです。

こんなことを今あなたに云ったのは
あなたが堕ちないためにでなく
堕ちるために又泳ぎ切るためにです。
誰でもみんな見るのですし また
いちばん強い人たちは願ひによって堕ち
次いで人人と一諸に飛騰しますから。

         一九二二、五、二一、