2001年賢治祭の旅(5)

 今回、私たちが小鹿野町で泊まった「本陣寿旅館」 という宿は、はからずも1916年9月4日に 宮澤賢治も泊まった、同じ旅館でした。今朝になって宿の人に聞いてわかったのです。 この縁にちなんでか、旅館には「ビヂテリアン大祭」と「山火」の賢治自筆草稿の複製も置いてありました。
 そうとは知らずに予約して泊まっていたのですが、うれしい偶然もあるものです。気をよくして宿をあとにして、秩父に向かいました。

 今日は今回の旅行の最終日で、寄居から熊谷をまわって、東京経由で帰ります。85年前の賢治は、上野で皆と合流して、 9月2日熊谷泊→9月3日寄居泊→9月4日小鹿野泊、と移動したようですから、ちょうど逆の経路をたどることになるわけです。

 まず秩父鉄道に乗って、寄居の駅で降りました。「寄居保健所前」に歌碑があると聞いていたので、早合点して最初、 「寄居町保健福祉総合センター」という所に行ってしまったのですが、歌碑があるのは「熊谷保健所寄居支所」の前でした。 あらためて行ってみると、碑は荒川の切り立った崖のような岸辺に立っていました。
 この後さらに秩父鉄道に乗って、熊谷に向かいました。熊谷では、繁華街のまん中の、デパートの前に歌碑が建てられていました。このあたりは、 「くまがや賢治の会」というのもあって、賢治研究のとてもさかんなところと聞いています。花巻から遠く離れた山間の地に、 四つも歌碑が建てられているというのは、地元の熱心な方々のおかげなのかと思います。

 これで予定をすべて終えて、デパートの高いところにある食堂で、はじめて見る熊谷市街を眼下に眺めながら、昼ごはんをとりました。 このあと駅へ戻って上越新幹線に乗り込み、帰途につきました。