三陸旅行(4)

羅賀港から望む朝日
 日の出は4時38分でしたが、その数分後に、羅賀港の突堤のはるか向こうの弁天崎の岩の上から、赤い朝日が顔を出すのが見えました。

 宿を出ると、昨日まで来た海岸線を今日は逆にたどり、昼前に釜石で列車を降りました。「橋上市場」 という風情ある市場をすこしのぞいたあと、タクシーで仙人峠に向かいました。
 急勾配のはげしいカーブをいくつも廻り(あるいは「あんまり眩ゆく山がまはりをうね」り)、峠を登りつめたところの長いトンネルの入口に、 「三五八 峠」 の詩碑がありました。賢治が1925年の三陸旅行からの帰途において、 太平洋に別れを告げ、花巻に向かおうとする時の作品です。
 あたりは雲が低くたれこめて、時おり小雨もぱらつくような天候でしたから、『第二集』の「峠」よりも、「詩ノート」の 「一〇七二 峠の上で雨雲に云ふ」 が似合うような情景でした。
 陸中大橋の駅のあたりには、昔の鉱山会社をほうふつとさせるような建物も残っています。このへんのどこかが、「一〇七三 鉱山駅」 の舞台だったのだと思います。

 こんどはここから釜石線に乗って遠野で下車し、県立遠野高校にある碑を見にいきました。
 遠野高校の碑には「宮澤賢治の」ブロンズ胸像が付いているのですが、なぜかこの胸像が、ぜんぜん賢治に似ていないのです。 ぱっと見ると昔の校長先生か誰かの像かと思うのですが、台座のところにはたしかに「Kenji Miyazawa」と彫ってあります。 碑文には、『農民芸術概論綱要』からの一節がとられていました。
 遠野の町は、民家も含めて家並のデザインが統一してあって、京都のような味気ない景観とは大ちがいです。 心もお金もかけてあるのがわかります。
 列車の待ち時間にこの町並を散策したあとふたたび釜石線に乗ると、いよいよ今回の旅行も終わりに近づきました。去年につづいてこの夏も、 最後は花巻温泉にしてしまいました。

 あ、それから昨日は田野畑村の駅名の愛称について書きましたが、JR釜石線の各駅にも、すべてエスペラント語の「愛称」 が付いていたんですね。私たちのような旅行者には、銀河鉄道みたいでおもしろいのですが、地元の方にとってはこれはどうなのでしょうか。