三陸旅行(3)

 昨夜からあたりはかなり海霧がたちこめていたのですが、朝食を終えると、宿から浄土ヶ浜へ降りてみました。ここは、白い礫の浜と、 それに向かいあった岩と松がおりなす不思議な景観ですが、今朝はそれらが霧におぼろに浮かびあがって、ほんとうに「浄土」 という名前のとおりでした。

 賢治は、盛岡高等農林学校三年のときに、花巻の実業家による「東海岸視察団」なるものに父の代理として加わって、 この浜を訪れたということです。この折に詠んだ短歌、「うるはしの/海のビロード 昆布らは/寂光のはまに 敷かれひかりぬ」が、 歌碑として浜辺に立てられています。
 「浄土ヶ浜」をわざわざ「寂光のはま」と言い換えてあるのは、当時の賢治がすでに法華経に熱狂して、家の宗派である「浄土」 真宗に対して激しく反発していたことにもよるのかと思われます。

 歌碑を写真に撮ったあと、また松林の中を登って現世に還り、宮古駅から三陸北リアス線に乗って北に向かいました。今日のお目当ては、 田野畑村というところです。
 この村は、賢治が1925年の三陸旅行において、 発動機船に乗船した場所と推定されているために、「発動機船」三部作の詩碑が、村のなかに点在して建てられています。「発動機船 一」が平井賀漁港に、 「発動機船第二」が島越駅に、 「発動機船三」が田野畑駅に、 という按配です。午後からすこし雲ゆきがあやしくなってきたのですが、歩いたり列車に乗ったりして、なんとか三つをまわることができました。

 あと、おもしろかったのは、この村では駅の名前にも、「カンパネルラ田野畑駅」「カルボナード島越駅」というふうに、 宮澤賢治の作品にちなんだ「愛称」がつけられていることです。私たちは、カルボナード駅の二階で昼食をとりました。
 また、賢治が乗った発動機船の気分を体験しておくために、リアス式海岸の断崖を海から望む観光遊覧船にも乗ってみました。 「波は青じろい焔をあげて/その崖裾の岩を噛み…」と書かれたような景色が広がり、ウミネコがたくさん啼きながら船のあとをついてきます。

 さて、今日は詩碑を四つも見られたので、いちおうの予定を終えると、明るいうちに羅賀漁港の近くの宿に入りました。